テレビで行われる言葉遊び

(広義の)環境問題と地球温暖化と原油の高騰がごっちゃになって話されると、とりあえず何が何だか分からなくなってしまいます。

「環境問題」と言われてしまうと、酸性雨、砂漠の広大化、湖の消失、温暖化なのか分からなくなり、「地球温暖化」に対しては、結局のところ「温暖化なのか、変化なのか」の議論がぼやけてしまいます。(議論の曖昧化)

そこに追撃のように「原油価格の高騰」→「使用料の減少を目標に消費エネルギーを減らす」+「原油の使用量を減らすと二酸化炭素減る」=環境問題、地球温暖化、原油の残量の確保という素敵な会話に聞こえてきてしまいます。

まるで、日本の国会のような不思議な状態だと感じています。
どこに問題があるのか、どのような解決策があるのか、どの程度のコストを覚悟しなければいけないのか。
全てが後付けで展開されて行きそうな状況が生み出されています。

同様の言葉の解釈の違いによる問題の曖昧化は幾つか挙げられますが、
「環境」を謳った新しいビジネス、排出権に関わるファンドや二酸化炭素を減らすための植林キャンペーンなどなど。

・・・木を植えても誰が切るんでしょうか?
(成長を終えた木は二酸化炭素を吸収しない。)

具体的で確実性の高い目標設定と活動を。

東京に住む身としては、ヒート・アイランドに手をつければ夜間の暑さは我慢できるようになると思います。
風さえ吹けばもっと快適なのに。

※地元、群馬は気温は高いけれど風がよく吹く地域なので、体感的には東京よりも涼しいです。

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